小泉のブログ

日頃思ったことを書いてみることを考えております.

「楽しい」と「膨大な時間」,どちらが先か?

大学院から訳あって新しい研究室に配属され早4ヶ月.Posaemonは終わりのない不安感と焦燥感,ひいては憂鬱感に苛まれていた.

 

なかなか厳しいと噂の研究室.なにか成長ができるんじゃないかと思い突入してみたところ,なるほど,こりゃ生き残ったやつが成長してるんだなといった感じだ.

 

特にPosaemonのような学生気分が抜けきっていない状態で入ってしまってはえらいところだった.研究を1から自分で考えてやっていかないといけない.これがなかなかPosaemonにとっては厳しい.でもこれに関してはM1ならみんなやっていることなんだろうなと思うと,なかなか自分の考えは甘ちゃんだなぁとこれまたショックを受ける.

 

同い年はもう働いている人が多い.そういう年齢だ.その子らも同じようなことを求められてるんだろうな,と思うとまたさらに甘い考えをして逃げようとしている自分に嫌気が差した.というよりかしばらくの間逃げてしまっていた.単位を取るために最低限の発表の準備と講義を受けてあとは家でひたすら寝る日々.そんなことを一ヶ月続けていた.

 

ますます自分が嫌になる.たぶん,この不快感の荒波を乗りこなしてそれさえも楽しめることが必要なんだろうと思った.しかし,どうすれば楽しめるのか?今のPosaemonはこの苦境を楽しめるようになりたいとは思いつつも,不安に押し潰されそうで,とても楽しむ方法などは思いつかない.

 

今までネットを挟んで相手とボールを打ち合うスポーツを中学から大学まで10年間やっていたPosaemonはもちろん辛いことも経験していた.しかし,その時はその辛さを乗り越えることができた.やはり大きかったのはそのスポーツ自体を楽しめたことと,もう一つは仲間がいたことだと思った.

 

なぜ楽しめたのか.実はPosaemonは結構そのスポーツが得意な方で,できることも多かった.なるほど.自分の扱える範囲が広ければ楽しめるんだと,気づいたところでそれは広く一般的にすでに言われていることだ.じゃあどうすれば扱える範囲が広くなるのか?これに関してもやはり言われていることであるが,膨大な時間をつぎ込む事なんだろう.

 

しかしここで疑問である.スポーツに関しては楽しいが先にあったから時間をつぎ込むことができた.しかしもし楽しいが先になければ,どうなっていただろうか?莫大な時間をつぎ込むことに苦痛を感じていただろう.中学生なら辞めていたかもしれない.

 

「楽しい」か「膨大な時間」か,どちらが先なのか.それとも両者が同時に生じるのが,通常で,それ以外の場合は諦めるものなのか.

 

またまた甘ちゃんなことを言うなぁと思うが,正直Posaemonは今の研究活動に膨大な時間を割きたくない.と思ってしまう.なんか膨大な時間をつぎ込むことで,今まで保持していたプライベートな時間が減ることにより,自分が何か別の存在に遷移してしまうような気がして,自分が自分でなくなるような気がして,それに恐怖を感じる.なんだろうこの感じは.

 

もしかしたらこれが学生気分なのかもしれない.自分で何もしたくない,変わりたくない,誰か僕のことを引っ張って,そう思っちゃう.

 

そして今,心に痛みを感じている.これは心の成長痛なのかもと思っている.今までの「待っていたら誰かがやってくれる.誰かに引っ張ってもらえる.」といった甘えた子供のマインドから,「自分が責任を持って事を進めていく」この大人のマインドへ切り替えている,いわば思春期である.これを大学を卒業した皆はちょうど経験する時期なんだろうな.

 

であるのであれば,この苦痛を耐えた先には(あくまで現状では「耐える」という表現しか使う勇気がない.「乗り越える」などと粋がったカッコいいことは今のPosaemonには言えない.)精神的に大人になった自分がいるのだろうな.そう思えると少しはこの苦境を楽しいと捉えられないだろうか?ちょっとでも楽しいと思えるならそこにつけ込んで膨大な時間を産めるかもしれない.わからんけどね.

 

とりあえず1年.なんとか耐えられるだろうか.早く大人になりたい.